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【TERUPOP SPECIAL INTERVIEW】 | 兵庫県ストリートダンス振興団体 29smokey https://29smokey.com/interview/978/

【TERUPOP SPECIAL INTERVIEW】

2024年5月7日 更新

現在、様々なアーティストの振付、演出等で大活躍のTERUPOPさんの今に迫る。

TERUPOPプロフィール
■Birthday
5月18日

■Birthplace
大阪府

■Blood Type
A型

■Interest/Hobby
掃除

■主な活動履歴
関西を中心にテーマパーク、アーティストバックダンサー、ファッションショーなど様々なシーンで活動中。現在は主にコレヲグラファーとして活躍しテーマパーク、アーティストライブ,MVを手掛けるなど幅広く活動している。

⚫︎Dancer
・namie amuro Final Tour 2018~Finally~ ツアーバックダンサー
・namie amuro 25th ANNIVERSARY LIVE in OKINAWA バックダンサー

⚫︎CONTEST
・JAPAN DANCE DELIGHT VOL.24 ファイナリスト(PLAY B♂Y)

⚫︎CHOREOGRAPHY
・YOASOBI
・Little Glee Monster
・SKE48
・HKT48
・原因は自分にある。
・Lienel
・関西テーマパーク

オーガナイザー 以下:オ
TERUさん 以下:T

オ:ではまず、お名前と年齢と、Z-1に参加した時、何年前とか何回目とか、、、覚えていることをお願いします。
T:名前は「TERU」と申します。クレジットによれば「TERUPOP」だったりとか「TERU」だったり。年齢は33になりました。
オ:もう33ですか!いやでも、まだ33なんですか!
T:33になりました。笑

T:Z-1に出たときは・・・当時はまだK-1だったんですけど、K-1が初めて開催される年からなので、、、
オ:初期!
T:初期です!第一回目、第二回目、第三回目で。年齢で言ったら19,20,21歳ですね。1回生 2回生 3回生の時に。

オ:所属のサークルは?
T:RUBU。
オ:ではTERUが参加した時、1,2回生の時は参加はLOVE部門の方ですか?
T:いや、それがRUBU自体のサークル所属人数が少なくて、、、当時大学一回の時で初心者だったんですけど、出ないと参加できる人数がいないレベルでした。初心者だったんですけど出させて頂いていたっていうので、コンテンツ出演者でした。
オ:当時でしたら、結構RUBUは最下位を争ってませんでした?
T:はい。笑 第一回目の時は、最下位から二番目だった気がします。
で、ほんとに僕、大学入ってダンス始めて「凄いダンス楽しい!」っていうときに、初めて食らった屈辱というか。笑 
なんかダンスめっちゃ楽しいけど、初めて悔しい想いをしたっていうのが、K-1のときで。
3回生までにはあと2回チャンスがあるから、絶対優勝したいなって気持ちで、それを目標に大学生活ダンスしていったっていう感じです。

オ:そうなんですね!

オ:当時のジャンルは?
T:LOCKですね!笑
(一同笑)
オ:今は・・?
T:今は、、、ポールダンサー。笑
オ:ジャズを経て。笑
T:ジャズを経て、そうですね。いろいろ経て・・・ポールダンサーです!笑
オ:それ一本?
T:そうですね、お仕事的にはステージングだったり振り付けだったりとか、演出とかをさせて頂いているので。
自分自身のダンスのジャンルで言えば「JAZZ」で、それを活かした振り付けだったりとかをやっているんですけども、パフォーマンスとなると・・・ポールダンス。

(一同笑)
オ:ガラッと変わる。笑
T:外れていきます。笑

オ:ちなみに何を経てポールダンスの道というか、LOCKダンスから何があってジャズダンスで、何があってポールダンスに?今に至った経歴を教えてください。
T:まず、先ほども言わしてもらったんですけど、大学からダンスを始めて本当にダンスの素晴らしさとか、ダンスの楽しさを知って、K-1に出会って。
オ:その時はダンスサークルのショーケースを見に行って「LOCKが良い!」みたいな?
T:そうですそうです!先輩が踊っててカッコ良くて、ダンスのジャンルとかもわからない状態で、めっちゃカッコ良くて「やってみたい!」ってなって、ドハマりして。
で、そういう大会とかバトルがあるってことを知って、どんどんのめり込んでいって。
本当に大学時代は「絶対K-1に優勝する」っていう気持ちで。そのために2年間3年間取り組んだっていう。
それを経て、最後の年になんとか優勝できて次のステップどうするかってなったときに、「大学生活ダンスしかしてないな」って思って。
勉強せずにダンスしかしてなくて、、、ただ「ダンスしたい!」ってなって、そこからダンサーになろうって気持ちになって。
そもそも僕はアーティストのバックダンサーやメディアの興味が、すごい昔からめっちゃあったので、そういうのもしたいし、ダンスのコンテストも出たい!ってなって。
就職活動せずにダンサーの道で行こう!って。

オ:それでダンサーの道で行くのなら、JAZZダンスが必要なので始めた感じ?
T:そうですね。
オ:バックダンサーはJAZZダンスは必要ですしね。
T:はい。やっぱりメディアとかステージングダンスをするにあたって、立ち踊りの基礎となるジャズだったりバレエだったり、ヒップホップの基礎の部分が必要だから、「これは本格的に学ばないと間に合わないな」って思ったんですよね。
僕の時代からキッズダンサーは凄いいっぱいいて、踊れる人は死ぬほどいたので。
そして自分自身にもJAZZダンスは合ってました。
NORIさん(NORI rep.N’ism)、KAKORIさん(KAORIalive rep.K fam/Memorable Moment)にダンスを学んで。ほかにもいっぱい先生はいらっしゃるんですけど。

オ:お2人のレッスンに行ってたんですね。
T:そうです。JAZZは基本的にNORIさんとKAORIさんと、あとバレエとかだと福島直美先生(福島直美 rep.Memorable Moment)とかいらっしゃるんですけど。
それでちょうど大学卒業と同時にマシーンさん(マシーン原田 rep.Angel Dust Breakers/ADHIP)から、ハウステンボスのダンサーの話を頂いて。

オ:マシーンさん!
T:そうなんですよ!で、ハウステンボスのダンサーを募集してるって言うので、金谷かほりさんっていう演出家の方がハウステンボスでの演出をされているんですけど。
今もすごい色々お仕事させて頂いていて、今も関係が続いている方なんですけど。
そこでハウステンボスに行き。で、いろいろそこでなんと言うか・・・。
初めてのダンスのお仕事というか。ショーダンサーとして。

オ:すごい大きな経験ですね。
T:はい!凄い良い経験をさせてもらって。長崎まで行って半年間やって、そこからUSJにもちょっとダンスの仕事とかアクティングの仕事をさせてもらったりしつつ。
オ:それは何年くらいからお仕事をしていたんですか?
T:2014年とか?大学卒業して次の年とかですね。
オ:早いですね!!
T:はい。笑
オ:23歳くらい。
T:そうですそうです!23,24歳くらいですかね。
で、それと同時にチームも「PLAYB♂Y」っていうチームを組んで。


オ:そのときですか!
T:そうですね。そのくらいですね。
で、「JAZZ SENSATION」っていうコンテストに出て、特別賞を頂いてそこから本格的にやっていこうってなりました。

オ:2人で?
T:はいそうです。
オ:あの・・・ラグビーボールの笑
T:ありましたね!笑 色んなネタがありましたね!笑
オ:いろいろやってましたね!笑
T:そういうのですね!笑
で、「JAPAN DANCE DELIGHT」に出たいって気持ちがどんどんどんどん強くなっていって。
JDDを目指しながら、インストラクターをさせてもらいつつユニバ(USJ)の仕事もさせてもらって、ていう時代が2,3年続きました。

オ:23歳から?
T:23からですね。23,4,5,6(歳)。
オ:結構濃いですね!


T:そうですね、3年間はダンサー下積み時代って感じですね。
オ:他の人からしたら華がある時代だと思います。笑
3年間、卒業してすぐに仕事でユニバ(USJ)とか。。。
T:やっぱり有難かったですね。周りの方のおかげというか。
本当にお繋がりというか。応援して下さってたから下手くそでも出れたっていうか。
それしかないっていう。笑

オ:あと、メンズでJAZZが踊れるっていうのが貴重でしたよね。
T:そうですね。やっぱり何を踊るのにも結局JAZZって必要で、でもやらない人が多いから。
オ:そうなんですか。
T:はい。そういう感じでしたね。
で、27歳のときかな。JDDの予選を通過した時期と同時に安室奈美恵さんのツアーオーディションのお話を頂いて。

オ:やってましたね!
T:そうなんですよ。その時期に頂いて。
その時は安室奈美恵さんが引退をされるってまだ公表していなくて。
「25周年の周年ライブでダンサー増やしたいから、そこでちょっとオーディションを受けてみいひん?」ってお話を頂き、受けさせてもらって、何とか合格できて。
そのライブは来年からって聞いてたんですよ。

オ:JDDの?
T:そうです。JDDの次の年からって聞いてたんですけど、見事にその受かった何週間後くらいに・・・。
「まず今年の沖縄で25周年ライブをやってから、来年に25周年のドームツアーをする。」って言われて、ドームツアーのバックダンサーのオーディションだったんですよ。元々は。
で、沖縄から出てほしい。って言われて。笑

オ:えー!!笑
T:うぇーっ!?!?てなって!!笑

T:どうしよっかなっていう時代に入るんですけど。
自分の夢だったものが全部、掴めたというか・・・。


オ:叶っちゃっいましたもんね。
T:そうなんですよ。 JDDも継続して挑戦するか?ってチームで話したときに、そうではないな。っていう結論に至って。
けど、まだまだ経験不足だからツアーダンサーとかもしたいし、挑戦したいな。くらいの気持ちで、ちょっとふんわりしていた時代になるんですけど。
米倉利紀さん(歌手)のツアーとかを「PLAYB♂Y」で回らしてもらったりとか、そういう時代があったりとかして。2019年はまだ関西にいて、ちょいちょい振り付けの仕事をさしてもらう機会が増えてきだして。

オ:なるほど。
T:関西で僕は何をするべきなんかな?って考えたときに、ちょっとイメージが沸かなくて。
オ:関西はあんまりメディア関係のお仕事ないですしね。
T:そうですね。その時が28・29歳だったんで。
オ:本当に華の道を歩んできましたね。聞くだけだと。笑
T:けどやっぱり、東京のダンサーの旬って23・24歳くらいまでなんですよ。
バックダンサーでは。テーマパークダンサーもそうですし。
24歳までが綺麗な・・・時代。笑 偏見ですけど。そうでもないんですけど。笑
そこが旬な時代っていうか、あるんですよね。全員が全員そうじゃないですけど。

オ:平均的に見ると。
T:平均的に。ってなったら動き出しが遅すぎるんで、行くなら今しかない!と思って(僕の先生の)NORIさんに言ったら「あんた何考えてんの。ここ(関西)におってなんの意味があんの。はよ行き。」って背中を押してくれたんです。
何があってもNORIさんが結構人生のキーポイントで、相談したらバシっと言ってくれるんです。笑


オ:そんなことがあったんですね。
T:僕も「ですよね~。笑」って言って。
で、もう東京に行くと決めてからは、すぐに家を見に行って、2020年の頭、1月にはもう東京に行きました。
オ:とりあえず東京に行って、生活は何とかしよう、みたいな?
T:はい。全部。その時はそもそもレッスンを全然持っていなかったんで。
安室奈美恵さんのツアーを回らしてもらう時に、一旦全部のレッスンを停めさせてもらっていました。
WSとか不定期でレッスンとかで生活を繋がして頂いたぐらいだったので。あんまりこう、大々的に「行きます!」みたいな言う必要はなかったので、さら~っと行きました。笑 流れで。笑

オ:いつの間にか行ってましたね!
T:で、行ったら2020年の3月からコロナ禍になったんですよ。
オ:行った直後ですか!
T:それが良かったんですよ、僕にとっては。
オ:えー、逆に?
T:はい。こんだけ・・・。2ヶ月くらい自粛期間ありましたよね。
色々とダンサーとして決まってる仕事もあったんですけど、もちろん全部止まっちゃって。
なんかけど、止まる時間ってなかったなぁ、今まで。って考えたときに思って。

オ:聞いてる限り、ないですね。笑
T:自分を見直せる良い機会かもしれない、しかも一人暮らしになって。今まで実家だったから。
その時間がすごく大きくて。
そこで探り探りオンラインレッスンさせてもらったりとかで生活は繋ぎつつ、自分を見つめ直す時間っていうか。自分もオンラインレッスンをいっぱい受けたりとか、英会話をちょっとやったりとか、コロナ禍が終わった後の計画を立てたり。
絶対に自粛期間は終わるものだと思っていたので・・・。思ったより長引きましたけど。笑

オ:ほんとに長引きましたねー。笑
T:長引きましたけど、終わったらこうなるし、業界は即戦力しか求めなくなるやろな。とか色々考えて、じゃあ何が必要かなって準備ができたんですよ。そこで。
オ:自分に対して?
T:はい。これは勉強しておくべきかなとか。っていうのができ増田。
自粛期間が終わって、そこからなぜか「踊り手」っていうより「振付師」として呼んで頂くとかの方が多くなってきました。謎に。笑
それこそ関西でしたらUSJでお世話になってます。ずっと。
アーティストさんの振り付けとか。
で、その年くらいから「Little Glee Monster」さんのステージングや振り付けとかに携わらしてもらうことが始まりました、
なんかその流れでどんどん自分が踊るっていうか、振り付けの方が多くなって、その年から「振付師」「ステージング」が主になりました。

オ:2022,3年?
T:そうですね。2020年から現在ですね。
オ:そうなんですね。
T:で、コロナ禍が終息して、オンラインライブのステージングや振り付けとかが増えてきて、そういう制作関係の方とかも繋がりが増えてきました。
有り難く、じゃあ「次はまたお願いします」って言って頂き、さらに機会が増えて、そこから「YOASOBI」さんとかもご一緒させて頂くことになって。
で、初めての・・・2021年ですね。2021年に「YOASOBI」さんの初めての武道館のライブ、というか初めての有観客のライブなんです。「YOASOBI」さんが。
元々「YOASOBI」さんは生ライブをしなくて、やっていたのもオンラインだけ。あと配信だけでした。
そこで「生田りら」さんも初めてステージに上がってお客さんの前でパフォーマンスをするから、そういう仕草やポージング、あとはどういう風にステージングをしていったら良いか。っていうのを相談させてほしいってお話頂いて。
そこから「YOASOBI」さんは一緒にさせて頂いてます。

オ:例えば仕事にも流れがあると思うのですが、、、ダンスからコンテストからステージング、振り付けみたいな。ってなったときに、きっと何かが活きて何かを認められて、お仕事のお話が来てると思ったんですけど、自分の中でこういうところが良かったな。っていうのはありますか?
T:やっぱり「やりちぎる」笑
オ:「やりちぎる」笑
T:これは今だから言えることなんですけど、相手が何を求めているか?っていうモノに対して、真摯に応えていく。っていうのが、やっぱり一番重要だな。と、お仕事に関しては思いました。
自分が主となって自分のやりたいダンスをする。ってなれば、好きにやればいいと思うんです。自分のチームもそうでしたし、ストリートのコンテストもそうだと思います。
けど、やっぱり仕事ってなると色んな人が絡んで、プロデューサーや制作さんであったりとか、色んな人が絡んで色んなものを一つに仕上げるので、やっぱりみんなが求めている絵をみんなで協力して作っていくんですね。
だから「われが、われが」じゃなくて、みんなで一つの目標に向かって協力してやっていく。っていう力が重要じゃないかなって思いますね。


オ:私、印象的やったTERUの大学生の時は、「ユニクロ」の店員っていうイメージがめっちゃあります。笑
T:めっちゃ懐かしい!笑
オ:JR神戸駅のところ。笑
T:一回来てくれましたよね!
オ:行きました!笑
オ:ダンスは3回生の時にJAZZも出てLOCKも出てみたいなことしてませんでした?
T:JAZZを振り付けしましたね、そういえば。
オ:JAZZを振り付けしたことが、すごい衝撃的で。
1回生2回生の時は先輩がおったからか、あんまりTERUがそこまでやっているイメージがなかったんです。
T:調子に乗り出したみたいな。笑
オ:しかもNORIさんに習い初めてるのか、場当たりの進め方がすごいJAZZっぽくなってて。
衝撃やったのを覚えてます。
T:そうですね・・・。調子乗ってましたね。笑
オ:でも出てたのは「LOCK」でしたよね?
T:そうです、そうです。笑
やっぱりその時から作品を作るのは好きはだったと思います。
で、たぶん踊るより作る方が得意っていうのも、その時に感じていたんだと思います。
自分がパフォーマンスするより、裏方の方が向いているんだなって。

オ:演出をしたいとか?
T:演出家の方が向いていると思います。脚本家より。
「これがしたいから、どうしたらいい?」っていう質問をされて、「じゃあ、こういう演出でどうでしょうか」っていう方が向いていると思います。
で、やっぱり一番大きかったのは安室奈美恵さんのライブを経験できたことですね。

オ:それは絶対に大きな経験ですね。笑
T:はい。そこで「あ、こういう魅せ方をするんだ」っていうのを初めて知って。
オ:いきなりテッペンですし。笑
T:本当に大変でしたけど。笑
「こういう魅せ方をするんだ」とか、「こういう作り方をするんだ」みたいな。
やっぱりコンサートをするとなると、30曲とかやるじゃないですか。
安室奈美恵さんもずっと踊っているんで、ずっとダンサーも踊ってるから・・・。
けど30曲ずっとずっと同じステージングだったら魅せれないじゃないですか。飽きるじゃないですか。
けど奈美恵さんのステージングってシンプルで、階段上がって台があるくらいで細かいことしないんですよ。
それでもやっぱり「魅せきる」っていう・・・「あ、こうやってやるんだ、流れを」とか。「コンサートの流れってこういうことか」とか、めっちゃ勉強になって。

オ:それは勉強になりますね。私も知りたいです。なんか面白そう。
T:面白かったです。で、今も色々な現場に行かせてもらって、「こういう魅せ方するんや」とか、めっちゃ面白いです。
オ:やっぱり色んな人の個性というか、癖みたいなことですか?
T:ありますあります!そのアーティストの魅せ方とか、セットリストの流れ方も「あ~それから始まるんや」とか。笑
良い悪いは置いておいて、全部正解だとは思います。

オ:今なにか活動してませんでしたか?
T:そうです。「アカデミー」ですかね。

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オ:「RYO-TA(rep. musica/Anthology )」も行ってましたよね?
T:はい、教えに来てくれてます。YOASOBIの演出関係のお仕事が終わってからですね。
なぜか僕がレッスンに呼んでもらう時ってなんか「ダンサーになりたいからどうしたらいい?」とかの質問や、そういうための・・・専門学校とか自分のダンスを広めるっていうより、「ダンサーとして食べていくためにはどうしたらいいですか?」とか「ダンサーとしてやっていくためには何が必要ですか」とかの質問が多かったです。
あと、専門学校とかそういうダンスを職にしたい人たちが集まってきたりとか、講師としていくっていう場がなぜか多くて。笑
で、気付いたのが、専門学校も大学もそうなんですけど、学校生活が終わっちゃったらダンスを辞めちゃうって子が多くて。
その一つの理由として思ったのが、やっぱり分からないことが多いんですよね。
「ダンサーとして食べていくためにどうすればいいか。」が。
例えば会社に入れば研修があるじゃないですか。
ダンサーってそれがなくて、まあ受ける必要もないんですけど。
けど、最低限受ける必要があるもの・・・例えば確定申告の仕方とか、インストラクターになったときに照明プラン書けって言われても、どうやって書いたらいいん?って。
まぁ自分の時は調べましたけど、もちろん。それがちょっとでも照明さんを呼んで「こう書いたらいいよ」って知識が身に付けば違うじゃないですか。
あと曲編もそうですし。最低限の曲編の仕方や、衣装も最低限の縫い方だったりとか。
衣装さんから見たら「こういうのを選んだら照明が映えるよ」という衣装さんからの視点とか。
あと結局は、仕事となると喋れないとダメですよね。
ダンサーってコミュニケーションを取るのが苦手じゃないですか。喋れるのが苦手で表現としてダンスする人も多いから。
けど仕事になるとやっぱり喋れないとダメだから、どういう風にコミュニケーション取れば良いのかとか、自己紹介の仕方だったりとか。
あともう一個がプロフィールの書き方・履歴書の書き方。
ユニバ(USJ)もそうなんですけど、履歴書で半分以上が落ちます。そこでもったいなくて。
みんなほとんど分かっていなかったんです。めっちゃ字が汚かったりとか。笑
ほぼ半分以上が。笑
採用する側は、履歴書を何千枚とか見るから、同じ人間として思うことは絶対に字が綺麗な方が良いじゃないですか。笑
そこを分かっていない子が多くて。

オ:丁寧に書いた方が良いですよね。
T:そうです。それと書き方や何を書くべきとか。この書き方の方が見てる側は分かりやすいよ。など。
仕事の繋ぎ役として、クライアントにプロフィールを渡すために集めた時も、「これは渡されないな」っていうのが9割なんですよ。
これじゃあプレゼンできないな、この子の良さが伝えれないな。っていうのが。。。
だから、それらの書き方とか、こういう風に最低限書いて、こうした方が良いよ。っていうのを教えてあげたら、もうちょっとダンサーの道が広がるんじゃないかなって思って。
プラス、それこそステージングダンサーとしてやっていくために必要なカリキュラムを組んだりしたら、関西でももっと仕事ができる、活躍できるんじゃないかなって。

オ:その考えを持っているから専門学校に呼ばれるのでは。
(一同笑)
オ:もう専門学校として成り立ってますよね。専門学校を作ったら良いじゃないですか。笑
T:けど、専門学校ってやっぱり二年間ダンスをするのに必死じゃないですか。
もうとにかくレッスン受けて、舞台もやって、気が付いたら卒業!みたいな。

オ:経験値を。ですね。
T:はい。今まで用意されてたから、卒業したら「これから私どうしたら良いんやろ」っていう子がほとんどじゃないですか。
オ:卒業後も用意されてるもんや。と思っている人も、少なからずいるかもしれないですしね。
T:辞めちゃうとその二年間がもったいないから、もう一年一緒に頑張って、プラスでアカデミーみたいなことを教えて卒業して、自分でやっていくってなったら確定申告もしなくちゃいけないし、これからインボイス制度も始まるから考え方もこうしていかないといけないんだよ。っていうのを伝えれば、何か変わるんじゃないかなっていうのをやってみたくなって。
オ:すごくちゃんとしてますね!私も受けに行こかな。笑
T:いやいや!笑 やめてください!笑

T:東京からも色んなダンスのWSが来てるじゃないですか。
じゃなくて、CMの振付師とかTikTokの振付師を呼んで、どういう風にTikTokを撮ればいいとか、CMでどういう風な振り付けをしているかとか。

オ:あとは考え方とか?
T:はい。あとオーディション対策も、アンサンブルで舞台やミュージカルでやってる子に来てもらって、オーディションの受け方や、その視点で意見を言ってもらったり。
あとバックダンサーのオーディションは、とにかく振り覚えが早くなかったらいけないんで、どういう風にすれば良いかのコツなど、東京からダンサーを呼んできてアカデミー生にWSをやってもらっています。
プラス、自分がリスペクトしてるダンサーさんを呼んでます。RYO-TA君とか。

オ:ダンスの技術を?
T:はい。カリキュラムを組んでやってます。
オ:すごいですね。
T:もう二年間やって、来年も一応やる予定ではあるんですけど。
オ:実際は何人ぐらい在籍してますか?
T:少人数にしてまして、一期生が13名、二期生が12名ですね。15人以下にしたいっていう感じですね。
オ:15人以下?
T:15人以下にしたいです。15人以上は僕が見れないんで。笑
オ:ちゃんと一人ずつ見れるように?
T:目が届く範囲でやりたいんで。
オ:TERUは専門学校はどこで教えてるんですか?
T:神戸甲陽音楽&ダンス専門学校で教えています。
オ:アカデミーは神戸甲陽を卒業した人がメインですか?
T:卒業生も来てくれたりします。来てくれたりもするし、別で生徒でいる子とか、僕の繋がりのある子ばっかりですね。あんまり大々的にはやってないです。
やる気があったら来て欲しいんですけど、僕は友達がいない。

(一同笑)
T:生徒と友達がいないってだけです!
オ:コミュニケーション能力の話をしていたのに!笑
T:ちぐはぐ。笑
オ:アカデミーはスタジオは借りてずっとやってるんですか?
T:そうです。貸しスタジオをお借りして。週3で、コマ数は1週間に7コマやってます。
オ:結構やってますね。
T:時間帯は朝から昼過ぎ、夕方前までですね。
夕方以降の時間を空けて自分がレッスンをしに行ったり、レッスン受けに行ったり、バイトしに行ったりできるようにしているんです。専門学校と同じような感じで。

オ:本当にもう、本格的にちゃんとダンスで食う!っていうヤル気がないと無理ですね。
T:そうですね。後は、、、1年間は自分と本気で向き合いたい子が来てもらっても。本気て向き合った結果、やっぱり違うなっていう子もいると思いますし。
オ:「あ~無理やな」みたいな。
T:はい。ダンスの向き合い方って人それぞれって僕はほんとに良いと思ってて。アカデミー来てるんだから絶対にダンサーになれ!とは言わずに。
会社員になっても必要なノウハウを教えてるんで。考え方を変えたら良いだけやと思うから。って言ってます。
もちろん、全員が全員ダンスでやっていくっていうのは、なかなか・・・。
それぞれがやりたい道に進むっていうのがベストやと思います。
ダンスの向き合い方をちゃんと分かってて、自分の中でダンスがどの位置にあるのかっていうのを。


オ:では今は、ステージング・振付・演出をしながら、東京にも行きながら、アカデミーをしっかり基盤としてやって、というのが今の過ごし方ですか?
T:それと、今は関西でしたらUSJにも結構お世話になってます。
オ:今も?
T:はい。
オ:ルフィの裏で。笑
T:はい。笑 裏で。笑
USJとか他の専門学校の演出にも入らせてもらったりとか。

オ:USJのルフィって、いつの時やってましたか?だいぶ前だったような?
T:それこそほんとに、ハウステンボス卒業してからだったんで、2014年。
オ:10年前!
T:10年位前ですね。
オ:その時23,24歳くらいのとき?
T:そうですね!
オ:本当にその業界の一番花形の時期!笑
T:まだまだ!笑
まぁ僕の話は置いておいて、、、もし大学生で、そういうのに興味があるっていう子は、どんどん今のうちに動いた方が良いと思います。
年取ったからどうこう。じゃなくて、やっぱり若いうちに一生懸命取り組んでいた方が良いと思います。先輩たちみんなが言ってると思うんですけどね。
テーマパークは特にあるんで。入れる期間が。

オ:契約期間が?
T:契約期間というか、、、
オ:華の期間ってやつですかね?
T:そうです。やっぱりあるんです、正直。
オ:そのためにはJAZZも必要ですしね。
T:そうですね。自分がちゃんとダンスに対して誠実に取り組んでたら、絶対に心は通じ合うだろうし。JAZZやってなくても。
ここで働きたい!頑張りたい!っていう意欲があれば、たぶん伝わるし。
けどJAZZはどっちにしろやっておいて損はないし、テーマパークは入ったら絶対に通るものなのでやった方が良いです。
もしバックダンサーとかメディアダンサーになりたいんだったらJAZZ、まあHIPHOPはやってた方がいいと思います。

オ:今の学生に対して、Z-1に出てくれる子に対してでも良いし、学生シーンに対してでも、メッセージをお願いします。
T:僕はこのK-1(現Z-1)がなかったらマジで今がなくて。
そこで一生懸命になれる。今まではダンス楽しい、わー。みたいなところから、「本気でダンスやらないと勿体ないな」とか「悔しいな」とか「優勝したいな」って気持ちになれたんですね。
それはやっぱり大会を企画して頂いたお陰というか。
それがなかったら今の僕もないし、もしかしたらダンスで食べていこうなんて思ってなかったと思うんですよ。
だからこそ身の回りの環境が当たり前とは思ってほしくなくて、何事にも感謝の気持ちだったりとか、何するにもやっぱり人と人が繋がって動いていくから、、、
そこに粗末な気持ちでは動いていないとは思うんですけど、やっぱり一生懸命やることって大切だと思うし、せっかくやるからには、本当にがむしゃらにやった方が絶対に良いと思います。
学生の頃ってほんとに何回失敗しても救ってもらえます。
その失敗が経験となり、大人になって社会人となって活かされてはいくんですけど、どうしても社会人になったら、もっともっと情報が増えたり、色々制御されたりします。失敗したら取りかえしがつかないレベルがあったりとか。
失敗もいいんですけどね。
学生時代の、がむしゃらな経験や失敗は今に活きていることは多いので、とにかくがむしゃらに一生懸命やることが重要だと思います。
仲間と喧嘩してでも、とにかく誠実に一生懸命、頑張ってください!

オ:ありがとうございました。
T:ありがとうございました。


文•福永 彬人

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